Twitterモーメントから転記。
アカウント開いた頃書いたざっくりの自分史です。
この後感想を貰って滝のような涙を流したんだよなぁ。
あぁそうか、私誰かに聞いて欲しかったんだと
初めて納得できました。
そこからとことん自分を見つめる作業が始まります。
ここから↓
私には、超優秀な姉がいた。
頭脳明晰、スポーツ万能、容姿端麗、
いつも自分のことより人の事ばかりの人格者、お友達沢山。
親が姉を褒めるたび、「それに引き換え…」という空気に劣等感を膨らませた。
かないっこない。
いつしか逃げる様に努力をやめ、派手にグレましたw
もう、必要以上に滅茶苦茶でした。
あまりの黒歴史っぷりに、未だに布団かぶってジタバタします(汗)
大人になって姉は教職に就き順風満帆な家庭を築き、
私は社会に出た途端発病。
「私はレールに乗っていただけ。いつもやりたい事に突進するずっとふたばが羨ましかったよ。自信を持って。」
鬱状態でどうしようもなくなり心療内科に入院することになった時に
姉がくれた手紙に号泣した。
でも、自信は持てないままでした。
(数年後、精神科に回されて双極性障害の診断を受ける)
そんな姉が小さな子供を残して43才の若さでがんで亡くなった。
煙草やお酒に縁がなくても罹患してしまう肺腺がん。
病気を知った時、何でお姉ちゃんなの?
何で駄目人間の私じゃないの?
と泣いた。
3人の子供を一切動揺させず、弱音も吐かず、
壮絶な闘病、自分を見失わないままの侍の様な最期。
姉は、亡くなるまで周りの人の心配ばかりしていた。
葬祭ホールのスタッフも驚く程、
沢山の人がお別れに来て、見送っていただいた。
ホスピスでかすれた声で
「ふたば、やっと気付いたよ。ずっと辛くて寂しかったよね」と。
お姉ちゃんだけがわかってくれたと号泣した。
姉を失う現実を一瞬忘れて号泣した。
誇りの姉だと今も思う。
今も「会いたいよー」と時々泣きながら呟く。
姉が恋しい。
翌年父もがんで他界。
母も令和元年5月急逝してしまいました。
(以下は亡くなる前半年ほど感情的に行き違っていた当時の記録です)
事情で私の家には引き取れない。
甥っ子は親と同居するんだってー、優しいよねと今度はいとこを褒める。
「それに引き換え」が心に刺さる。
私の仕事中でも頻繁に寂しいと電話が来る。
早退してすぐ駆けつけない私を冷たいと罵る。
頼りになる方の姉が先に死んだと泣く。
ずっと悲劇のヒロインでいる。
私だって、姉と父を亡くした悲しみや寂しさは一緒なのに。。。
以前は母の話を傾聴し受容することが出来ていたが、
この当時は泣かせてしまう程辛く当たってしまった。
ずっと哀しみから立ち上がれないので精神科に行くこと薦めても、偏見ゆえ断固拒否。
具合悪くなる私。
母の要望通りに寄り添えない自分を責める。
出来ない事(同居)をしないのは親不孝?それとも仕方のないこと?
家の旦那も母も人に合わせることが出来ない。
母と私は離れていた方がうまくいくと思う。
無理に同居したら私が潰れるのは目に見えている。 私達は二人の間に境界線を引けない。
姉は末期の辛い時期に母に側にいて欲しいといった。
子供たちの近くにいて欲しいと。
その時、義兄も母に一緒に暮らしましょうと言ってくれた。
父も近々がんで亡くなることがわかっていたから。
でも、「お父さんの病気のことで頭いっぱいなのに、何で自分の生活を今更犠牲にしなくちゃいけないの?」と母は泣き、
頑なに付き添うことを拒否した。
現実を直視する強さがなかったのだと今になって思う。
姉はどんなに心細い中痛みと恐怖と闘っていただろう。
姉の家族はどんな思いで介護と日常生活を両立して送っていただろう。姉は子供の近くにばぁばにいて欲しかったの。
今は姉に寄り添って欲しい、あなたが後からものすごく後悔するよ と
母に何度も言ったが、無駄だった。
老いて弱々しくなり、不安になったからと言って私に引き取ってほしいなんて、都合良すぎる。
妹として許せない感情もある。
我が子の死に際なんて、私なら何を差し置いても近くにいく。
姉の最後の日々を思うだけで辛くなる。
追記してみる。
独りよがりに劣等感を拗らせただけだと親に言われたことがある。
そんなつもりは私ら(両親)にはなかったと。
「何をやってもいいけどな、犯罪者にだけはなるなよ!
お姉ちゃんの経歴に傷を残すようなことだけはするな!
犯罪者が身内にいたらまずいんだ。お前は社会の負け犬!○○家の恥!」
って激鬱状態の時に父に怒鳴られたことがあったし
(当然私はノックアウト。良く死ななかったなぁと今でも思う)
子供が比較されツラいと感じる空気があったのは確かだったので、私の子供達には同じ思いをさせまいとしているけれど
未だに全く乗り越えられていない部分が投影されるであろうことが怖い。
「あなたはそのままで充分価値がある。あなたのままで愛される」
と思春期の息子に対して口先で言ってみても、私が自分自身に対してそう思えていなければ、説得力ゼロだ。
もううんざりする程向き合ってきた自尊心皆無の自分。
誰かに褒められないと不安になる幼い私。
独りよがりに悲劇のヒロインをしているだけなんだろうか。
もしかしたら、両親も同じような苦しさを持っていたのかもしれない。
姉は「とんびが産んだ鷹」だったのかもしれないw
自己憐憫ワールドから、もう少し建設的な次元に行きたい。
「ふたばはふたばのままで大丈夫!」
自分にしつこいくらいに話しかけてみようかな。
2019年、私は姉の歳を超えた。
自分や母を許し、自分を受け入れて愛することを今からでも出来るようになるだろうか。
とめどなく想いが溢れて四の五の考え続ける私であった。